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家島諸島・日生・牛窓・直島諸島 2026年2月19日-23日 その4(23日) 直島諸島

2月23日(月曜 祭日)

この日1日の移動

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前夜宿泊 KEIRIN HOTEL 10 by 温故知新

前夜の食堂の大騒ぎに嫌気がさし、ひとけがないだろうAM6:50から朝食をいただく。

07:55にホテルを出発。この日は鵜の港からチャーター船で出発し、沖ノ島、小豊島、石島、その他の直島諸島をめぐる。

08:10 宇野港に到着。産業振興ビル前の有料駐車場に車を停める。

自転車を組み上げ、夕刻発送する荷物の準備を整えてから駐車場を離れ、08:40に川西マリンサービスの専用桟橋に到着。

AM9:00の予約であったが、川西さんはすでに待機していてくれて、08:45には「アルバトロス」で出航。

まずは小豆島土庄港へ向かう。

小豆島

0935土庄港 着

自転車で土庄港から小江港まで走る。

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小江到着09:45

09:50小江(やや遅れ)ー沖ノ島09:53

沖ノ島

小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」の舞台になったとも言われる、沖ノ島~小豆島小江の間の渡船。

現在架橋工事中で、今年じゅうには橋が完成し、渡船はなくなってしまう。

これが最後のチャンスと思い、沖ノ島を訪問。

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その昔、花嫁だった、島のご婦人と一緒に瀬戸を渡る。

すっかり春の陽気の沖ノ島を散策する。

沖ノ島10:45 ー 小江10:47 の渡船で小豆島に戻る

急いで走って、土庄港11:00着。

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船の停泊位置探しにちょっと迷って、11:05土庄港を小豊島に向けて出発。

小豊島 11:15 – 11:45

小豆島オリーブ牛の主産地となる「牛の島」。島内では牛糞を利用した循環型農業も行われています。畜産農家が2軒あり、島内に約300頭の牛がいる。人口は10人以下。

島にある砂浜周辺のリゾート開発をもくろんで視察に来た悪党どもがいたらしいが、島のいたるところが臭く、ハエだらけなので、あきらめて退散したという。

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小豊島を出て石島へ向かう

石島 12:10-12:30

県境の島。岡山県分が(石島 いしま)、香川県分が(井島)。

山稜あたりに、石島八十八石仏があるという。

昔は島の南端にも集落があり、そこから島の山稜を歩いて、北端の集落の学校まで通っていた生徒がいたという。

島の北西部の砂浜に訪れた観光客が原因の山火事があり、島の大半が焼失。岡山県側だけは植林されたが、香川県側は放置されはげ山状態だったが、自然の力で山林は徐々に復活している。

石島にも、お姫さまの置き去り伝説があるという。

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屏風島・喜兵衛島 12:40-13:30

自分を島に残して、川西さんは13:00発の宇野ー石島の定期船運航へでかけた(アルバトロスで行きアルバトロスで帰ってきた)ため、滞在時間が長い。この間に喜兵衛島で昼食に手持ちのツイストドーナツを食べた。

屏風島(びょうぶじま)は有人島で、20人ほどの住民がいるにもかかわらず定期航路がない島。 地理的にも住民の生活圏としても、岡山県玉野市が至近。しかしながら香川県に属しているため、縦割り行政の悪癖として定期航路が実現しないと思われる。 隣の喜兵衛島(無人島)とは、狭い堤防で連続していて、この石垣の堤防は「築堤式」呼ばれる、両島の間で行われていたハマチ養殖の名残り。 昭和の時代には約5万匹ものハマチが育てられ、栄えていたという。現在でもささやかに養殖は続いている様子だった。

隣の喜兵衛島には古墳時代の製塩遺跡が遺されている。

周囲に多くの島が集まり、「屏風七浦」と呼ばれる群島を形成し、まるで屏風を立てたように波が静かなことから屏風島と命名されたという。

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牛ヶ首島 13:45 - 14:15

ほぼ満潮のため、アルバトロスで島につけてもらって、島に滞在しているあいだに、川西さんは宇野港へもどり、こののちの無人島めぐりのため、作業船に乗り換えてきた。

直島水軍の牛頭(ごず)大王神の幟が島名の由来とのこと。現在は無人島。島の北側にある巨大涅槃像「日蓮聖人涅槃像」への到達は2026年現在は困難とのこと。 チェーンソーを携えて、島に泊まり込みでようやく到達したグループが過去にあったらしい。 島の南側に船着き場があるが、船着き場付近は浅瀬となっていて座礁しやすい。

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杵島 14:20

個人所有の島らしい。

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安野島 14:25

安野島(あんのじま) 直島諸島の無人島。 船をつけられそうな場所はなく上陸できなかった。 「虚無僧」あるいは「雪だるま」と呼ばれる、積み重なった岩が島の北東にあった。

京の上臈島(きょうのじょうろうじま) 14:30

京ノ上臈島(きょうのじょうろうじま) 船乗りが、京で身請けした上臈(遊女)を船に乗せて帰る途中、心変わりして、その女をこの島に置き去りにした。残された上臈はこの島で飢えに苦しみながら死んでしまい、以後、その祟りがあるため、この島へは今も船がかりができないという伝説のある島。 島の南端に手を合わせた女性の姿をした「京ノ上臈岩」があった。 島の南東部に灯台があり、その東側に浜があり、そこへ着岸。

付近の五人宗谷にせよ、石島のお姫様にせよ、このあたりの島には置き去り伝説が多い。

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局島(つぼねじま) 14:40 

崇徳上皇が讃岐配流の折、この島を見て「お局さまが北枕でお休みになっているようだ」と申したことが、「局島」の名の所以という。 かつては採石が行われていたらしい。

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家島(えじま)14:50

家島(えじま) 平成12年以降無人島化。 島の南東部では塩田跡が残っている。 海賊の隠した財宝が隠した島の洞窟に眠っているという伝説や「島を守る大蛇の住む洞窟」の伝説がある。 無人島なのに、島猫たくさんいる、と川西さんは言っていたが、今回はまったく猫の姿はなかった。

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向島(むかえじま)  15:05

牛ヶ首島の後、やっとこの島で自転車に乗れた。

直島本村港の対岸にある島。その昔は、中学生たちは、直島との間の短い瀬戸を、手漕ぎ船をこいで通学したという。

人口十数人で、児童生徒がいたころは通学用のスクールボートがあったが、今は定期船はなし。

ゲストハウスが島内にあり、自家用船で送迎してくれるらしい。

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尾高島(おだかじま) 15:15

保元の乱で配流された崇徳上皇が鷹狩をしたので。『尾鷹島』というのが島名の由来だという。

島の西側の浜に上陸。

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【林の浜と灯つかずの石灯籠】

柏島の手前を航行中、直島の南東端に手つかずのビーチをみつけた。ビーチには灯篭が立っていた。不思議に思って帰宅後調べてみたら、以下の通り。

この「林の浜(海岸)」、かつては「四国新聞社選定さぬき百景」に『直島琴弾地浜と林海岸』として選定されていて、琴弾地浜から遊歩道が整備されていた。

その昔は、島の庄屋の娘「三宅まち」がこの浜で船宿を営み、港として賑わっていたそうで、浜辺の石灯籠がには「三宅まち」の名前が刻まれている。この石灯籠はかつての船宿の庭にあり、灯台の役目をしていたという。

この石灯籠を作った石工は、ある日無理やり博打に誘われ、そこで身銭を失った。石工は帰りの船から身投げをしたため、以後、石灯籠に火が付かなくなり、「灯つかずの石灯籠」と呼ばれるのだそう。



 

柏島(かしわじま)15:30

崇徳上皇が拍手を打って難破船を救ったことが「かしわじま」の名の由来だそう。二次大戦前には動物遊園地があり、開戦で閉園となったらしい。昭和40年ごろまでは有人島だったらしい。

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荒神島(こうじんしま)15:45

大正期に直島の銅精錬工場からでる亜硫酸ガスによって禿山となった後、植林がなされたが、平成10年に山火事。平成14年よりボランティアによる植樹が行われ、現在に至る。島内には海人族の祭祀遺跡あり。

直島への高圧線の鉄塔が通っている。

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葛島(かつらしま) 16:00

南端の灯台わきの砂浜に上陸。灯台までは浜から階段があった。


大正時代には晒粉製造工場が操業していた。直島精錬所からの煙害ではげ山だったが、植林により緑が回復。
瀬戸内海人族の遺跡あり。
崇徳上皇が能美の浦で葛の舞を鑑賞したのが島名の由来。

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五人宗谷(ごにんぞわい)

欲に溺れた船頭が五人の座頭を岩礁に置き去りにしたという玉野の伝説の岩礁。干潮時には上烏島と下烏島の間に、その伝説の岩礁が顔をだす。

宇野港に戻る道すがら、川西さんが立ち寄ってくれたが、残念ながら満潮から引けてきたばかりだったので岩礁は望めず。

「そあい」というのは岩礁のある浅瀬のことらしいが、なぜそれに「宗谷」の字が当てはまるのか謎。

北海道の「宗谷(ソウヤ)岬」の名の由来は、宗谷岬の北にある弁天島がアイヌ語で「ソーヤシュマ」と呼ばれていたこと、また、「岸の海中に岩の多いところ」をアイヌ語で「ソ(ショともいう)・ヤ」と呼ぶことが由来らしい。

宇野港帰着 16:20

一日お世話になった川西さんにお礼を申し上げて、桟橋を去る。

駐車場に戻って、車で着替えを済ませ、自転車や箱詰めして送り出す荷物の準備をすませる。

産業振興ビルのトイレで小用を済ませてから、車で岡山駅へ向けて出発。

17:50 トヨタレンタカー岡山駅前店に到着。車を返却し、宅急便を預ける。

車を返して、岡山駅に徒歩で向かいながら「九十九 岡山駅前店」に立ち寄るが、店員さんがでてこないのでそのまま撤収。

地下道を通って岡山駅へ。

さんすて岡山 南館2Fのみのるダイニングに入ってみるが、メニューを見て、飲みたいアルコールもないし、食事も重いものばかりなのでそのまま立ち去る。

再び地下道に戻り、岡山一番街B1 炉端焼き 八閣 に落ち着く。

連休でだいぶ混みあったらしく、ないメニュー多数。

あがりの食事は弁当でも買って、新幹線の車内でいただくことにした。

新幹線ホームへ向かいながら、さんすて岡山 南館2Fの「さぼてん」でとんかつ弁当を買う。

岡山駅2階中央改札改札口(新幹線) 脇のe5489端末に立ち寄ってから、改札を通る。

駅構内の土産もの屋さんで、O先生にイチゴとトマトのセットを発送してからホームへ。

のぞみ194 号

岡 山 19時06分 発 東 京22時24分 着 10号車17番D席

東京駅で乗り換えて、上越・北陸新幹線最終列車で帰宅。

たにがわ477号 上越新幹線

東京22時40分 発本庄早稲田23時26分 着

12号車 6番A席

駅からはF氏がノアで送迎(BMWは大破したばかり)

家島諸島・日生・牛窓・直島諸島 2026年2月19日-23日 その3(22日)牛窓諸島

2月22日(日曜)

この日一日の行程

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前夜はホテルリマーニ泊。

7時前に起床して、7:00から朝食。

レストランでの朝食はコンチネンタル、マッシュオムレツ、魚介と野菜のスープ、ステーキから選択でき、温かい手作りのパンが付く。朝からステーキをがっついた。

大生汽船の雄島さんが、牛窓の県営桟橋にAM9:00にモーターボートをつけてくれる予定なので、8:30になってホテルをでて、駐車場に車は置いたまま自転車で「牛窓かぜまち桟橋」まで向かう。

https://connect.garmin.com/app/activity/21943304544

桟橋の隣からは前島フェリーが発着していた。

旅の前にこの日の船のチャーターを前島フェリーさんにお願いしたのだが、前島での週末の牡蠣小屋営業のため船長(社長)さんがお忙しいらしく、ダメだった。その際、代わりの船長さんもご紹介いただいたがこちらも先に予約ありとのことでだめ(もしかしたら黄島の宗教団体の清掃のためかもしれない)。まこと渡船さんという遊漁船にも問い合わせたが、こちらは釣りでないとダメとのことだった。

前日の日生諸島めぐりでお世話になった大生汽船の雄島さんに前日お願いして、わざわざ牛窓まで来ていただけることになり、この日の牛窓諸島めぐりが実現した。

牛窓港発09:10でまずは青島に向かう。

青島(あおしま) 09:30

https://connect.garmin.com/app/activity/21943596160

島名は、島を覆う笹の色に由来しているらしい。昭和37年に牛窓町から関西学院に売却されキャンプ場となっていて、夏季のみ関西学院中等部と啓明学院中学校のキャンプがあるらしい。桟橋のほか、キャビン・トイレ・シャワー等の施設があったが現在も使用可能かは不明。

釣り人2名が桟橋にいた。自転車で来たことにあきれてはいたが、感じのよい人たちで、自転車を船から持ち上げるのを手伝ってくれた。

黄島(きしま)09:50

島全部ではないようだが、宗教法人「神慈秀明会」の所有で、島内には関係者のみが滞在。

この日は、信者200人ほどが集まり島内清掃を行っている日だった。

前島から眺めた黄島。

黒島(くろしま)10:00

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干潮の時には、黒島ヴァージンロードが、この黒島と中ノ小島、端の小島をつないで現れ、その砂州を歩いて渡れるという(ホテルリマーニに問い合わせ)。

残念ながら、自分が訪ねたときは満潮に近い状態。

何もない無人島と思っていたら、岡山県青少年の島 黒島 となっているらしく、キャンプ場らしき施設があった。

それにしても利用者っているのだろうか?とは思う。

1970年代には人口30人を数え、造船所もあったという。2018年に無人化したらしく、まだ廃墟とは呼び難い住宅もあった。

https://www.uminet.jp/play/detail.php?id=159

https://mykoho.jp/article/336068/10163776/10326577

前島(まえしま) 10:30

https://connect.garmin.com/app/activity/21943953643

付近の青・黄・黒島という名称に並べて、「緑島」とも呼ばれる。

この前島の港で下してもらって、大生汽船の雄島さんとはお別れ。ありがとうございました。

前島は前日の鴻島ほどではないにせよ、別荘開発もされて俗島化していた。

前島フェリーさんが牡蠣小屋営業中の週末で、自家用車やレンタルアシストバイクで島内ふらつく観光客多数。

いままで誰にも会わない無人島渡りばかりだったので、すっかり衆生にもまれて、島旅気分が失せて、興ざめした。

それでも島の山稜付近から見渡す瀬戸内海の景観は見事。

島の展望台のふもとに「大阪城築城残石群」なんていうのがありました。江戸時代初期(1620年~1629年)に徳川家により再建された大坂城の石垣を切り出した丁場の遺跡だそうです。

展望台は老朽化で登らないようロープが張ってありましたとさ。

牛窓までは前島フェリーで戻りました。

前島12:00 ー 牛窓 12:10

牛窓港からホテルリマーニ駐車場まで自転車で走る。

https://connect.garmin.com/app/activity/21943953666

次の目的、犬島に渡るべく宝伝港まで自動車で移動。

宝伝港駐車場着 12:25

駐車場に車を停めて、港まで自転車で移動。

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自転車は要パッキングとのことで、輪行袋に収めて乗船。

13:00宝伝 ー 13:10 犬島

犬島を周遊

さすがベネッセの島なので、美術館休館のこんな時期でも、観光客が多い。

美術館休館のため、15時台の船の便がない、とのこと。14:00犬島発の船で宝伝にもどらないと、次の船は17:15となってしまう。

犬島14:00 ー 宝伝港 14:10

下船後、「株式会社あけぼのマリタイム 電話 086-947-0912」の前社長の娘さんらしきに大生汽船雄島さんからの「よろしく」を伝える。

宝伝港付近を自転車で散策しながら駐車場に戻る。

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車で玉野市まで移動して、15:30にKEIRIN HOTEL 10 by 温故知新にチェックイン。

競輪場のホテルということで、公営ギャンブルに興ずる類いのお客さんだらけだったらイヤだな・・・、と思いつつも、宇野の町には他にたいして宿もないので、こちらに宿泊した。部屋のテラスから、眼下に屏風島、直島諸島、瀬戸内海が広がる。 選手の練習している、競輪のトラックを見下ろすという、特別なシチュエーションもなかなかのもの。

お店の質以前に客の質の問題があり大人集団が騒ぎまくり、あるいはしつけられていない子供たちが喚きチラシて走りまくっている。目の前で躾をする気のない母親が幼児2人を走り回らせているので、「賑やかなのが苦手なので席を変わりたい」と十分婉曲に店員さんにつげたところ「何言ってんのコイツ」みたいな顔をされて驚いた。「場末の居酒屋ではなくホテルのレストラン」と考えて伺った自分が間違っていた。 部屋に戻ってiPodを持ってきて、音楽を鳴らしても効果はなく、脳裏をつんざくような叫声が店内に響き渡るような環境で食事をした。

家島諸島・日生・牛窓・直島諸島 2026年2月19日-23日 その2(21日)日生諸島

この日一日の行程

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前夜は赤穂パークホテルに宿泊。

この日は早朝に日生港に移動し、定期船で鴻島から大多府島をめぐり、大多府島13時発でチャーター船で鶴島を往復。大多府に戻ってから再び定期船で日生に戻り、夕方になって、宿泊地の牛窓まで車で移動する、というのが当初のプランだった。

ところが前日、男鹿島にいるときに、チャーター船をお願いしておいた大生汽船(たいせいきせん)さんから電話が入り、先方の都合で「日生港12:30発での鶴島往復に変更できないか?」との申し出があった。

そこであれこれと先方とやり取りした結果、午後12:30出発、日生駅前港発着で、チャーター船で鶴島・大多府島・鴻島3島をめぐるという次第になった。

赤穂から日生までは車で30分ほどなので、この日は午前がまるまる空くことになった。

AM6:30頃起床して07:00から朝食をゆっくりいただいて、7時30分にホテルを出発。

午前いっぱいかけて、以前の日本一周でショートカットしていた赤穂~日生間の海岸線を何か所かに分けて走ることにした。

まずは赤穂温泉近くの大塚海岸駐車場まで移動して、赤穂御崎海岸遊歩道を走る。

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次いで、赤穂市郊外の千鳥ヶ浜まで移動して、川の堤防脇に車を停めて、海岸線から赤穂城址までを自転車で走る。脳外科医竹田くんで悪名高い赤穂市民病院を眺めて、車に戻る。

https://connect.garmin.com/app/activity/21932787628

次いで、赤穂線備前福河駅近くまで移動。福浦下水処理場前に車を停めて、そこから日生までの海岸線を備前日生大橋を越え、鹿久居島まで自転車で走り、戻った。

https://connect.garmin.com/app/activity/21933242220

10時に走りだして、戻って11時すぎ。12:30に日生駅前の桟橋から出航の予定なので、日生駅へ向かう。

日生駅に向かう途中、頭のおかしい三河ナンバーの軽自動者の兄ちゃんがからんできた。問題外のアホなので、こんなゴミをどついて問題になるのもいやなので無視。

日生駅には11:30に到着。駅前の駐輪場裏の駐車場に車を停める。

昼食を買いだそうとコンビニや弁当の帰る店を探して自転車でふらつくが、日生の駅付近にはコンビニもスーパーない。

https://connect.garmin.com/app/activity/21933390904

観光協会に駐車料金300円を払いに立ち寄ると、レモン味のポテトチップスとどら焼きみたいなのを売っていたので、それを買って昼食とした。

12:30前になって、桟橋に移動。

12:30ちょうどに大生汽船(たいせいきせん)の雄島さんがやってきて、モーターボートで鶴島向けて出港。

鶴島(つるしま) 12:38到着

鶴島を30分ほど探索。

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浦上四番崩れ(うらかみよばんくずれ)」と「日蓮宗不受不施派(ふじゅふせは)」

浦上四番崩れ(うらかみよばんくずれ)とは、幕末から明治初頭にかけて長崎の浦上村でおこった日本最後のキリシタン弾圧事件。1867年、僧侶の立ち会いなしで葬儀を行ったことを機に、隠れキリシタンとして信仰を守り続けた浦上村の村民たちが江戸幕府により捕縛された。間もなく江戸幕府は瓦解するが、幕府のキリスト教禁止政策を引き継いだ明治政府の手によって村民たちは萩、津和野、福山などへ流罪となる。この事件は欧米諸国からの激しい非難を受け、江戸末期に締結された西洋諸国との不平等条約を改正のため、1873年明治6年)にキリシタン禁制は廃止された。この鶴島への流刑者は117名、「そのうち13名が殉教した」とされるが、島で命を落とし埋葬された人は実際には18名いたらしい。その数えられていない5名は改宗者だというが、現地の碑文には12名の名が記され、外6名とある。

この「隠れキリシタン流刑地」という史実の影で、あまり語られることのないのが、「日蓮宗不受不施派(ふじゅふせは)」の流刑の地でもある、ということ。

日蓮宗不受不施派は、「開三顕一(かいさんけんいち)」「久遠実成(くおんじつじょう)」を説く、法華経(妙法蓮華経)の教えを信じない者からの布施・供養を受けず、施しも行わないという日蓮の教えを厳格に守る一派(日蓮宗以外の信者からは布施供養を受けず、日蓮宗以外の僧には供養をしない)。

寛文九年(1669年)、不受不施派に対し寺請(正式の檀徒をもつこと)が禁じられ、キリシタン同様に邪宗門として扱われ、地下に潜む信仰となった。この弾圧は明治9年の不受不施派公認まで300年続き、幕府から処罰せられたものは、公に数えられ者だけでも、磔刑17、死刑8、牢死91、流罪181に及ぶ。

岡山は日奥を派祖とするこの宗派の最大の拠点で、江戸時代には幕府の激しい弾圧(法難)を受けつつも信仰が受け継がれた歴史があり、現在でも岡山市北区の「龍華山妙覚寺」を祖山としての活動が続いている。

画像中の流刑の碑にある「坂本真楽」とは、明治三年(1870年)にこの鶴島に流罪となった岡山県津島区の人物。その際、この鶴島には、上述の長崎県浦上のキリシタン宗徒117名が流刑されていたという。

この「坂本真楽」なる人物に関する情報は少ないが、幕末から明治にかけて生きた日蓮宗不受不施派の有力な信徒で、岡山藩主への直訴事件にかかわり2度入牢、その後明治新政府によって投獄され、明治3(1870)年10月から翌年9月まで、この鶴島に流されていたのだそうだ。

「岡山市史 宗教教育編」岡山市史編集委員会(昭和43年)によれば、坂本真楽(和平)は、津島村(西坂)在住の幕末の熱烈な信者で、慶応2年(1866)に津島の森幸蔵宅の裏に唯紫庵を建て大曼荼羅を安置した、とある。

明治の初頭のある時期、この鶴島には、カトリックと日蓮宗という、まったく異教の、宗教迫害を受けた信者が暮らしていたことになる。

https://www.cbcj.catholic.jp/2014/09/01/13342

鶴島をでて大多府島へ移動。

大多府島(おおたぶじま) 13:11

島内を自転車でクイック散策。

次に訪ねる鴻島や鹿久居島のようにリゾート開発はされておらず、風情のある島だった。

https://connect.garmin.com/app/activity/21933705430


鴻島  (こうじま)13:57

ここは別荘の廃墟の島。それでも昨今の好景気で10棟まとめで民泊用に買い込んでゆく輩がいるどうだ。

別荘開発で道は入り組んで迷路のよう。袋小路に迷い込んだところを島のガス屋さんに助けていただきました。

https://connect.garmin.com/app/activity/21933841483

この時点では翌日の牛窓近辺でチャーター船を出してくれる船会社さんが見つかってなかった。

鴻島から日生駅前港に帰る道すがら、船長の大生汽船 雄島さんにお願いすると、翌日牛窓港まで来てくれて、付近の島を回っていただけることになった。

日生港に戻って、雄島さんにお礼を告げ、車で牛窓のホテルリマーニまで移動。

ホテルリマーニ着15:30。

フロントでチェックインだけを済ませて、自転車で牛窓周辺の海岸線を走りに出かける。

牛窓周辺周遊 15:44

https://connect.garmin.com/app/activity/21934447489

ホテルに戻って17:00。

ゆっくり部屋でくつろいでから1Fの和食レストラン沙羅紗(さらさ)で18:45から夕食。

家島諸島・日生・牛窓・直島諸島 2026年2月19日-23日 その1 家島諸島

2月19日 木曜

午前で終業

北陸新幹線

本庄早稲田 13:25 -あさま616ー東京 14:12

東海道新幹線への乗り継ぎ時間を36分つくって「ありそ寿司」で昼食。夕方レンタカーを動かすので、ノンアルビール。

東海道新幹線 で 姫路まで。時刻は下の画像。

本日快晴。富士山がきれいに見えた。

伊吹山もくっきり

姫路駅 17:45 着 

駅前のトヨタレンタカーでカローラツーリングを借り入れて、ホテル日航姫路の地下駐車場まで移動。到着時駐車場は満車とのことでドアボーイに駅前の「はとパーキング」を案内されたが、待っているうちに駐車場の空きスペースがでた。

チェックイン時にフロントで予約して、ホテル内の鉄板焼き銀杏で夕食。

カウンターの端にキャバクラ女性同伴みたいなおじさんがいた。

「冬の北の惠みコース~北彩~」

ワンハーモニー会員10%の割引があった。

2月20日 金曜

ホテルを6時にでて、06:20姫路ポートタワー着

車で港へ行く際はGoogleMapで目的地を「飾磨港第二駐車場」とすると、ポートタワーのすぐ前の駐車場に案内してくれる。これより離れて「飾磨港第一駐車場」もある。

「高速いえしま」と「小豆島フェリー」は有人カウンターがあるが、「高福ライナー」と「坊勢輝汽船」は自動券売機しかない。

「坊勢輝汽船」で男鹿(たんが)島へ渡るときは、往復なら券売機で買えるが、片道を買うときは券売機に書いてある電話を呼ぶと、4Fから係のヒトが下りて来て、発券できるようにしてくれる。

自転車のまま乗り込める。船に乗り込むときに自転車代500円を現金で支払う。電動アシスト自転車はバッテリーが危険物となるので乗り込めない。ちなみに男鹿から坊勢へ移動する際には、乗船してから船中で料金を支払う。

姫路飾磨港
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0720姫路 ー男鹿0745

男鹿島

採石場の島、男鹿(たんが)島。

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07:45に島について、次の10:30発の坊勢ゆきの船まで、何もすることがなくだらだらと時間をつぶす。気温4.8度、港前にある、トラックの荷室を改造した待合所も閉じていた。

船着き場脇には砂浜があり、砂浜ぞいにはモダンなカフェの建物もあった。夏場は海水浴客がくるのだろう。

鹿公園があり、地元の老人2人が、鹿の世話をしていた。10:20くらいになってようやく、別の老人1人が待合所のカギを持ってきて、待合所を開けた。

鹿の世話をしていたご老人たちは、その待合所に入ってゆき、自分は待合所には入ることなく、桟橋へ向かった。

男鹿島10:30 - 坊勢島 10:40

坊勢漁港のターミナルに着くと、西島からの迎えの船(漁船)が既に待機していた。

西島へは乗りもの一切は持ち込み禁止なので、坊勢漁港のセンター建物脇に自転車を置いてから、迎えの船に乗り込む。

坊勢港発 10:45 - 西島着 10:55

桟橋からとりあえず入島手続きのため、管理センターへ向かう。

自分を迎えに来てくれた、センターの職員はゴルフカートでさっそうと帰ってゆくが、ゲストはひたすら徒歩。

港にある「活っ子 Ⅲ」という船型のオブジェが何だったのかはいまだに不明。

西島徒歩散策

https://connect.garmin.com/app/activity/21923788717

センターへ向かう峠の頂のちょっと手前にはバイオトイレと休憩所があった。

峠の頂から小豆島が見渡せた。ちなみに小豆島から見ると、この島は土砂の削られたハゲ島に見える。

管理棟受付で入島料200円と往復の船代1000円を支払う。あとは時間まで島内散策。

本当はセンター桟橋14:15発の船で帰る予定だったが、この日来島していた団体が13:00に島を出て帰るとのことで、その便に同乗させていただいて坊勢島へ帰ることになった。

島内を徒歩で散策。

桟橋に戻って手持ちのおにぎりをいただいていると、12時過ぎになってセンターの職員らしきが車でやって来て旅客船「母子島」を動かして離着岸の練習を始めた。

12:40 センター管理棟の見かけたご老人の集団約10名が自動車の送迎で桟橋までやってきた。

12:45 センター桟橋を船で出発。

12:55 坊勢港着。

坊勢島を自転車で一周する。

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漁船と坂と原付とサバの島。他の島とは一線を画する活気があり、ちょっと異国のよう。

漁船の密集した港から、うねりながら急峻にのぼりつめてゆく山肌の狭い路地に家々が立ち並ぶ。

若い奥様が子供を背負って、原付にまたがりひょひょいと駆けあがり、急降下してゆく。もちろんヘルメットなんて自分どころか子供にもかぶせてはいない。

すごく生き生きとしていて、活気に満ちている。

不思議な島。

14:35 坊勢発 網手ゆきの坊勢渡船の船で家島に渡る。

坊勢1435 - 網手14:45

坊勢汽船

https://www.heart-y.ne.jp/tosen/index.htm

家島を走る

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網手港

姫路藩 家島台場跡

家島神社鳥居

真浦港15:45 - 姫路港 16:12 高福ライナー

家島(真浦・宮)と姫路港間の航路は「高福ライナー」と「高速いえしま」の2社運航。

https://h-ieshima.jp/liner.html

姫路港

姫路飾磨港到着16:12

レンタカーで赤穂温泉まで移動。

赤穂温泉 赤穂パークホテル に17:30に到着。

部屋も広々・・・

夕食もよし。

これで一泊2万円はリーズナブル。