家島諸島・日生・牛窓・直島諸島 2026年2月19日-23日 その4(23日) 直島諸島
2月23日(月曜 祭日)
この日1日の移動
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前夜の食堂の大騒ぎに嫌気がさし、ひとけがないだろうAM6:50から朝食をいただく。



07:55にホテルを出発。この日は鵜の港からチャーター船で出発し、沖ノ島、小豊島、石島、その他の直島諸島をめぐる。

08:10 宇野港に到着。産業振興ビル前の有料駐車場に車を停める。





自転車を組み上げ、夕刻発送する荷物の準備を整えてから駐車場を離れ、08:40に川西マリンサービスの専用桟橋に到着。





AM9:00の予約であったが、川西さんはすでに待機していてくれて、08:45には「アルバトロス」で出航。

まずは小豆島土庄港へ向かう。
小豆島
0935土庄港 着

自転車で土庄港から小江港まで走る。
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小江到着09:45


09:50小江(やや遅れ)ー沖ノ島09:53


沖ノ島
小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」の舞台になったとも言われる、沖ノ島~小豆島小江の間の渡船。
現在架橋工事中で、今年じゅうには橋が完成し、渡船はなくなってしまう。


これが最後のチャンスと思い、沖ノ島を訪問。
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その昔、花嫁だった、島のご婦人と一緒に瀬戸を渡る。



すっかり春の陽気の沖ノ島を散策する。











沖ノ島10:45 ー 小江10:47 の渡船で小豆島に戻る


急いで走って、土庄港11:00着。
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船の停泊位置探しにちょっと迷って、11:05土庄港を小豊島に向けて出発。
小豊島 11:15 – 11:45
小豆島オリーブ牛の主産地となる「牛の島」。島内では牛糞を利用した循環型農業も行われています。畜産農家が2軒あり、島内に約300頭の牛がいる。人口は10人以下。
島にある砂浜周辺のリゾート開発をもくろんで視察に来た悪党どもがいたらしいが、島のいたるところが臭く、ハエだらけなので、あきらめて退散したという。
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小豊島を出て石島へ向かう
石島 12:10-12:30
県境の島。岡山県分が(石島 いしま)、香川県分が(井島)。
山稜あたりに、石島八十八石仏があるという。
昔は島の南端にも集落があり、そこから島の山稜を歩いて、北端の集落の学校まで通っていた生徒がいたという。
島の北西部の砂浜に訪れた観光客が原因の山火事があり、島の大半が焼失。岡山県側だけは植林されたが、香川県側は放置されはげ山状態だったが、自然の力で山林は徐々に復活している。
石島にも、お姫さまの置き去り伝説があるという。
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屏風島・喜兵衛島 12:40-13:30
自分を島に残して、川西さんは13:00発の宇野ー石島の定期船運航へでかけた(アルバトロスで行きアルバトロスで帰ってきた)ため、滞在時間が長い。この間に喜兵衛島で昼食に手持ちのツイストドーナツを食べた。
屏風島(びょうぶじま)は有人島で、20人ほどの住民がいるにもかかわらず定期航路がない島。 地理的にも住民の生活圏としても、岡山県玉野市が至近。しかしながら香川県に属しているため、縦割り行政の悪癖として定期航路が実現しないと思われる。 隣の喜兵衛島(無人島)とは、狭い堤防で連続していて、この石垣の堤防は「築堤式」呼ばれる、両島の間で行われていたハマチ養殖の名残り。 昭和の時代には約5万匹ものハマチが育てられ、栄えていたという。現在でもささやかに養殖は続いている様子だった。
隣の喜兵衛島には古墳時代の製塩遺跡が遺されている。
周囲に多くの島が集まり、「屏風七浦」と呼ばれる群島を形成し、まるで屏風を立てたように波が静かなことから屏風島と命名されたという。
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牛ヶ首島 13:45 - 14:15
ほぼ満潮のため、アルバトロスで島につけてもらって、島に滞在しているあいだに、川西さんは宇野港へもどり、こののちの無人島めぐりのため、作業船に乗り換えてきた。
直島水軍の牛頭(ごず)大王神の幟が島名の由来とのこと。現在は無人島。島の北側にある巨大涅槃像「日蓮聖人涅槃像」への到達は2026年現在は困難とのこと。 チェーンソーを携えて、島に泊まり込みでようやく到達したグループが過去にあったらしい。 島の南側に船着き場があるが、船着き場付近は浅瀬となっていて座礁しやすい。
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杵島 14:20
個人所有の島らしい。
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安野島 14:25
安野島(あんのじま) 直島諸島の無人島。 船をつけられそうな場所はなく上陸できなかった。 「虚無僧」あるいは「雪だるま」と呼ばれる、積み重なった岩が島の北東にあった。


京の上臈島(きょうのじょうろうじま) 14:30
京ノ上臈島(きょうのじょうろうじま) 船乗りが、京で身請けした上臈(遊女)を船に乗せて帰る途中、心変わりして、その女をこの島に置き去りにした。残された上臈はこの島で飢えに苦しみながら死んでしまい、以後、その祟りがあるため、この島へは今も船がかりができないという伝説のある島。 島の南端に手を合わせた女性の姿をした「京ノ上臈岩」があった。 島の南東部に灯台があり、その東側に浜があり、そこへ着岸。
付近の五人宗谷にせよ、石島のお姫様にせよ、このあたりの島には置き去り伝説が多い。
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局島(つぼねじま) 14:40
崇徳上皇が讃岐配流の折、この島を見て「お局さまが北枕でお休みになっているようだ」と申したことが、「局島」の名の所以という。 かつては採石が行われていたらしい。
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家島(えじま)14:50
家島(えじま) 平成12年以降無人島化。 島の南東部では塩田跡が残っている。 海賊の隠した財宝が隠した島の洞窟に眠っているという伝説や「島を守る大蛇の住む洞窟」の伝説がある。 無人島なのに、島猫たくさんいる、と川西さんは言っていたが、今回はまったく猫の姿はなかった。
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向島(むかえじま) 15:05
牛ヶ首島の後、やっとこの島で自転車に乗れた。
直島本村港の対岸にある島。その昔は、中学生たちは、直島との間の短い瀬戸を、手漕ぎ船をこいで通学したという。
人口十数人で、児童生徒がいたころは通学用のスクールボートがあったが、今は定期船はなし。
ゲストハウスが島内にあり、自家用船で送迎してくれるらしい。
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尾高島(おだかじま) 15:15
保元の乱で配流された崇徳上皇が鷹狩をしたので。『尾鷹島』というのが島名の由来だという。
島の西側の浜に上陸。
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【林の浜と灯つかずの石灯籠】
柏島の手前を航行中、直島の南東端に手つかずのビーチをみつけた。ビーチには灯篭が立っていた。不思議に思って帰宅後調べてみたら、以下の通り。
この「林の浜(海岸)」、かつては「四国新聞社選定さぬき百景」に『直島琴弾地浜と林海岸』として選定されていて、琴弾地浜から遊歩道が整備されていた。
その昔は、島の庄屋の娘「三宅まち」がこの浜で船宿を営み、港として賑わっていたそうで、浜辺の石灯籠がには「三宅まち」の名前が刻まれている。この石灯籠はかつての船宿の庭にあり、灯台の役目をしていたという。
この石灯籠を作った石工は、ある日無理やり博打に誘われ、そこで身銭を失った。石工は帰りの船から身投げをしたため、以後、石灯籠に火が付かなくなり、「灯つかずの石灯籠」と呼ばれるのだそう。



柏島(かしわじま)15:30
崇徳上皇が拍手を打って難破船を救ったことが「かしわじま」の名の由来だそう。二次大戦前には動物遊園地があり、開戦で閉園となったらしい。昭和40年ごろまでは有人島だったらしい。
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荒神島(こうじんしま)15:45
大正期に直島の銅精錬工場からでる亜硫酸ガスによって禿山となった後、植林がなされたが、平成10年に山火事。平成14年よりボランティアによる植樹が行われ、現在に至る。島内には海人族の祭祀遺跡あり。
直島への高圧線の鉄塔が通っている。
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葛島(かつらしま) 16:00
南端の灯台わきの砂浜に上陸。灯台までは浜から階段があった。
大正時代には晒粉製造工場が操業していた。直島精錬所からの煙害ではげ山だったが、植林により緑が回復。
瀬戸内海人族の遺跡あり。
崇徳上皇が能美の浦で葛の舞を鑑賞したのが島名の由来。
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五人宗谷(ごにんぞわい)
欲に溺れた船頭が五人の座頭を岩礁に置き去りにしたという玉野の伝説の岩礁。干潮時には上烏島と下烏島の間に、その伝説の岩礁が顔をだす。
宇野港に戻る道すがら、川西さんが立ち寄ってくれたが、残念ながら満潮から引けてきたばかりだったので岩礁は望めず。
「そあい」というのは岩礁のある浅瀬のことらしいが、なぜそれに「宗谷」の字が当てはまるのか謎。
北海道の「宗谷(ソウヤ)岬」の名の由来は、宗谷岬の北にある弁天島がアイヌ語で「ソーヤシュマ」と呼ばれていたこと、また、「岸の海中に岩の多いところ」をアイヌ語で「ソ(ショともいう)・ヤ」と呼ぶことが由来らしい。


宇野港帰着 16:20


一日お世話になった川西さんにお礼を申し上げて、桟橋を去る。
駐車場に戻って、車で着替えを済ませ、自転車や箱詰めして送り出す荷物の準備をすませる。
産業振興ビルのトイレで小用を済ませてから、車で岡山駅へ向けて出発。
17:50 トヨタレンタカー岡山駅前店に到着。車を返却し、宅急便を預ける。
車を返して、岡山駅に徒歩で向かいながら「九十九 岡山駅前店」に立ち寄るが、店員さんがでてこないのでそのまま撤収。
地下道を通って岡山駅へ。
さんすて岡山 南館2Fのみのるダイニングに入ってみるが、メニューを見て、飲みたいアルコールもないし、食事も重いものばかりなのでそのまま立ち去る。
再び地下道に戻り、岡山一番街B1 炉端焼き 八閣 に落ち着く。
連休でだいぶ混みあったらしく、ないメニュー多数。
あがりの食事は弁当でも買って、新幹線の車内でいただくことにした。





新幹線ホームへ向かいながら、さんすて岡山 南館2Fの「さぼてん」でとんかつ弁当を買う。

岡山駅2階中央改札改札口(新幹線) 脇のe5489端末に立ち寄ってから、改札を通る。
駅構内の土産もの屋さんで、O先生にイチゴとトマトのセットを発送してからホームへ。

のぞみ194 号
岡 山 19時06分 発 東 京22時24分 着 10号車17番D席


東京駅で乗り換えて、上越・北陸新幹線最終列車で帰宅。
たにがわ477号 上越新幹線
東京22時40分 発本庄早稲田23時26分 着
12号車 6番A席
駅からはF氏がノアで送迎(BMWは大破したばかり)