家島諸島・日生・牛窓・直島諸島 2026年2月19日-23日 その2(21日)日生諸島
この日一日の行程
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前夜は赤穂パークホテルに宿泊。
この日は早朝に日生港に移動し、定期船で鴻島から大多府島をめぐり、大多府島13時発でチャーター船で鶴島を往復。大多府に戻ってから再び定期船で日生に戻り、夕方になって、宿泊地の牛窓まで車で移動する、というのが当初のプランだった。
ところが前日、男鹿島にいるときに、チャーター船をお願いしておいた大生汽船(たいせいきせん)さんから電話が入り、先方の都合で「日生港12:30発での鶴島往復に変更できないか?」との申し出があった。
そこであれこれと先方とやり取りした結果、午後12:30出発、日生駅前港発着で、チャーター船で鶴島・大多府島・鴻島3島をめぐるという次第になった。
赤穂から日生までは車で30分ほどなので、この日は午前がまるまる空くことになった。


AM6:30頃起床して07:00から朝食をゆっくりいただいて、7時30分にホテルを出発。
午前いっぱいかけて、以前の日本一周でショートカットしていた赤穂~日生間の海岸線を何か所かに分けて走ることにした。
まずは赤穂温泉近くの大塚海岸駐車場まで移動して、赤穂御崎海岸遊歩道を走る。
https://connect.garmin.com/app/activity/21932380001




次いで、赤穂市郊外の千鳥ヶ浜まで移動して、川の堤防脇に車を停めて、海岸線から赤穂城址までを自転車で走る。脳外科医竹田くんで悪名高い赤穂市民病院を眺めて、車に戻る。
https://connect.garmin.com/app/activity/21932787628








次いで、赤穂線備前福河駅近くまで移動。福浦下水処理場前に車を停めて、そこから日生までの海岸線を備前日生大橋を越え、鹿久居島まで自転車で走り、戻った。
https://connect.garmin.com/app/activity/21933242220








10時に走りだして、戻って11時すぎ。12:30に日生駅前の桟橋から出航の予定なので、日生駅へ向かう。
日生駅に向かう途中、頭のおかしい三河ナンバーの軽自動者の兄ちゃんがからんできた。問題外のアホなので、こんなゴミをどついて問題になるのもいやなので無視。
日生駅には11:30に到着。駅前の駐輪場裏の駐車場に車を停める。
昼食を買いだそうとコンビニや弁当の帰る店を探して自転車でふらつくが、日生の駅付近にはコンビニもスーパーない。
https://connect.garmin.com/app/activity/21933390904
観光協会に駐車料金300円を払いに立ち寄ると、レモン味のポテトチップスとどら焼きみたいなのを売っていたので、それを買って昼食とした。




12:30前になって、桟橋に移動。



12:30ちょうどに大生汽船(たいせいきせん)の雄島さんがやってきて、モーターボートで鶴島向けて出港。




鶴島(つるしま) 12:38到着
鶴島を30分ほど探索。
https://connect.garmin.com/app/activity/21933705390


















「浦上四番崩れ(うらかみよばんくずれ)」と「日蓮宗不受不施派(ふじゅふせは)」
浦上四番崩れ(うらかみよばんくずれ)とは、幕末から明治初頭にかけて長崎の浦上村でおこった日本最後のキリシタン弾圧事件。1867年、僧侶の立ち会いなしで葬儀を行ったことを機に、隠れキリシタンとして信仰を守り続けた浦上村の村民たちが江戸幕府により捕縛された。間もなく江戸幕府は瓦解するが、幕府のキリスト教禁止政策を引き継いだ明治政府の手によって村民たちは萩、津和野、福山などへ流罪となる。この事件は欧米諸国からの激しい非難を受け、江戸末期に締結された西洋諸国との不平等条約を改正のため、1873年(明治6年)にキリシタン禁制は廃止された。この鶴島への流刑者は117名、「そのうち13名が殉教した」とされるが、島で命を落とし埋葬された人は実際には18名いたらしい。その数えられていない5名は改宗者だというが、現地の碑文には12名の名が記され、外6名とある。
この「隠れキリシタン流刑地」という史実の影で、あまり語られることのないのが、「日蓮宗不受不施派(ふじゅふせは)」の流刑の地でもある、ということ。
日蓮宗不受不施派は、「開三顕一(かいさんけんいち)」「久遠実成(くおんじつじょう)」を説く、法華経(妙法蓮華経)の教えを信じない者からの布施・供養を受けず、施しも行わないという日蓮の教えを厳格に守る一派(日蓮宗以外の信者からは布施供養を受けず、日蓮宗以外の僧には供養をしない)。
寛文九年(1669年)、不受不施派に対し寺請(正式の檀徒をもつこと)が禁じられ、キリシタン同様に邪宗門として扱われ、地下に潜む信仰となった。この弾圧は明治9年の不受不施派公認まで300年続き、幕府から処罰せられたものは、公に数えられ者だけでも、磔刑17、死刑8、牢死91、流罪181に及ぶ。
岡山は日奥を派祖とするこの宗派の最大の拠点で、江戸時代には幕府の激しい弾圧(法難)を受けつつも信仰が受け継がれた歴史があり、現在でも岡山市北区の「龍華山妙覚寺」を祖山としての活動が続いている。
画像中の流刑の碑にある「坂本真楽」とは、明治三年(1870年)にこの鶴島に流罪となった岡山県津島区の人物。その際、この鶴島には、上述の長崎県浦上のキリシタン宗徒117名が流刑されていたという。
この「坂本真楽」なる人物に関する情報は少ないが、幕末から明治にかけて生きた日蓮宗不受不施派の有力な信徒で、岡山藩主への直訴事件にかかわり2度入牢、その後明治新政府によって投獄され、明治3(1870)年10月から翌年9月まで、この鶴島に流されていたのだそうだ。
「岡山市史 宗教教育編」岡山市史編集委員会(昭和43年)によれば、坂本真楽(和平)は、津島村(西坂)在住の幕末の熱烈な信者で、慶応2年(1866)に津島の森幸蔵宅の裏に唯紫庵を建て大曼荼羅を安置した、とある。
明治の初頭のある時期、この鶴島には、カトリックと日蓮宗という、まったく異教の、宗教迫害を受けた信者が暮らしていたことになる。
https://www.cbcj.catholic.jp/2014/09/01/13342

鶴島をでて大多府島へ移動。
大多府島(おおたぶじま) 13:11
島内を自転車でクイック散策。
次に訪ねる鴻島や鹿久居島のようにリゾート開発はされておらず、風情のある島だった。
https://connect.garmin.com/app/activity/21933705430












鴻島 (こうじま)13:57
ここは別荘の廃墟の島。それでも昨今の好景気で10棟まとめで民泊用に買い込んでゆく輩がいるどうだ。
別荘開発で道は入り組んで迷路のよう。袋小路に迷い込んだところを島のガス屋さんに助けていただきました。
https://connect.garmin.com/app/activity/21933841483











この時点では翌日の牛窓近辺でチャーター船を出してくれる船会社さんが見つかってなかった。
鴻島から日生駅前港に帰る道すがら、船長の大生汽船 雄島さんにお願いすると、翌日牛窓港まで来てくれて、付近の島を回っていただけることになった。
日生港に戻って、雄島さんにお礼を告げ、車で牛窓のホテルリマーニまで移動。
ホテルリマーニ着15:30。



フロントでチェックインだけを済ませて、自転車で牛窓周辺の海岸線を走りに出かける。
牛窓周辺周遊 15:44
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ホテルに戻って17:00。


ゆっくり部屋でくつろいでから1Fの和食レストラン沙羅紗(さらさ)で18:45から夕食。










