「山陰」という言葉の響きが好きだ。 この地方の海岸線は日本で一番美しいと思う。
海岸沿いに限らず、山陰には、僕らが失ってしまった日本の原風景が残されている。
前回は5年前、九州からの帰路、下関から城崎まで、角島や青海島に立ち寄りながら、オートバイで走り抜いた。
確かXJR1300だった。
その前はいつだったか・・・、と思い起こせば多分もう20年も前になる。この時はKATANAだったなあ。
鳥取の駅前でUターンしながらコケた時に、フレームにガムテープで巻き付けておいたパンク修理剤が爆発して、あたり一面、泡だらけになり、大騒ぎになったっけ。
セパハンでのロングランは正直、肩と首がキツくて、埼玉に着くなり、接骨院に行ってマッサージしてもらったけ。
今回は電車での旅、下関を10:21に出て、仙崎に12:30に着いた。着いたはいいが、閑散期の平日ダイヤなので、長門-東萩の列車がない。
バスもないので、仕方なくこの区間をタクシーで移動。
山陰道が部分開通していたり、R8もバイパスができていて、この辺りの道路にはすっかり昔の面影がない。
東萩から13:46の益田行に乗り込んだ。
再び、名古ー須佐間は不通。
この区間はJRの代行バスがあった。
益田で16:08発「スーパーまつかぜ12号」に乗り込んだ時には正直ホッとした。
ところがコイツも強風で遅延。
出雲市駅には18時過ぎになんとか到着。
駅前で釜揚げの出雲蕎麦をいただいて、「ポプラ」で酒やつまみを買い込んで、18:55、無事「サンライズ出雲」の発車に間に合った。
そうそう、出雲市駅もすっかりモダンに姿を変えていた。
一日中、一晩中、車窓からの風景だけを眺めていた。
強風に打ち寄せる日本海の波、窓にかかるしぶき、取り残された昔ながらの駅舎。
棚田、小径、紅葉・・・。
山陰本線のドン行はカタカタと線路脇の小枝に車体をぶつけながら走り抜けてゆく。
「圃場整備」という言葉を憶えている人はどれだけいるだろうか。
農業生産性の向上と銘打って、不規則・不整で美しい日本の田園風景を、浅ましい土建族や農林官僚が、どんな風に打ち壊したかを憶えているか?。
高度成長やらバプルやらに浮かれた愚か者どもが、どれほどの山林を破壊し、そこを緑の芝生で埋め尽くしていったかを憶えているか?。
人間の欲に見向きもされなかった、山の陰のわずかな谷間にだけ、かつての古里の風景が残されている。
「ある場所の写真をね、20年経ってまた撮るとね、もうそれが同じ土地には見えないんだよ」と、ある写真家が嘆いていたことを思いだした。
もう、高速道路や新幹線なんて作らなくていい。
古里は荒んだ都会から遥かな故に美しい。
軽薄な都会の野うさぎみたいな価値観に追従して、すっかり姿を変えた萩の町を美しいと思う奴がいたら、そんなのただの物見遊山のノータリンだ。
これ以上日本を壊すな。
新世代快適指向夜行「サンライズ出雲」に乗り込むと、そんな怒りがこみ上げてきた。
車窓から空を見上げると、南天の星空が輝いていた。
車室の灯りを消してベッドに横たわると、オリオン座が車窓の中を、ゆらゆらと泳いでいた。
「今夜は寝るまい」と僕は思った。
一睡もせず、窓のシェードは開けたまま、一晩中、この星空を見上げていようと心に決めた。
大阪が近くなると、今度は三日月が窓の中を泳いだ。
そして、またオリオン。
明け方、少しウトウトした。
目をあけると、車窓ごしに、月明かりが優しく車内を照らしていた。