2017年8月19日

旅の終わりを、中標津にしたのは、ここには様々な思い出が埋まっていて、、、

もし、人生そのものが旅ならば、その旅の途上で、何度も何度も、渡り鳥のように、立ち寄っては、また巣だってゆく、きっとここは、僕にとってはそんな場所だからだ。

だからこそ、大切な思い出を、台無しにしたくなくて、こわくてこわくて、もう何年も立ち寄れなかった。

開陽台のキャンプサイトには、ささやかな数のテント。

かつての自分のように、カタナで無理矢理ヌカルミケモノ道を登ってゆく若者がいる。

「どのへん、テント張ります?」
「ん?」
「いや、ここら、宴会場にしませんか?」

なんて会話が聞こえてくる。

皆、十代、二十代。安っぽい会話なんだが、それが若者の特権。どうやら、ひとり、ふたり旅の、寄せ集め,。

ジジイどもや、若くてもミーハーなハーレー集団なぞは、もっと快適なサイトでエンジョイキャンプゴッコをする。

現代自転車族のガキやジジイは、平坦な海辺生息で、こんなとこには登ってこない。

もし、加われるものなら、自分も開陽台に今集っている彼ら若者の仲間でいたい。

でもね、自分は年老いてしまった。おカネもあるので、キャンプする必然性もない。いま、あそこにテント張ったら、俺だけレジャーキャンプになっちゃうし、それは彼らの”若さ”に対する冒涜だ、と思う。

今回の旅の途中、オートバイやチャリの御年輩やら、群れたバッタのようなガキどもには距離を保ち続けた。

そんな意固地にならなくても、と思うオトモダチもいるだろう、ごめんなさい、なんだが、、

いまも、中標津の居酒屋のカウンターで、今日の昼間、開陽台で意気投合したばかりらしい、三人組のジジイが大騒ぎしてる。俺の隣は、36歳で、前橋住まい。ガキが生まれたばかりで、今9ヶ月。同志社でて、ソニー入って、退職して、、

なんて、つまんねー会話で大喜びしてる。
「あの、やっぱりバイクですか?」
なんて、酔った勢いか、オレにまで声をかけてくる。

「なんで?」
「いや、日焼けが、」
「あーごめんなさい、自分、仕事です」
で、会話が終わってほっとする。

俺は、絶対、こんな、面白くもない、大人なんかになりたくない。脳みそがボンヨーすぎる。もしかしたらこの人たちも、元々は愉快な若者で、その心を失っただけなかも知れない。

あーー、もしや、今、開陽台は、ふり注ぐ星まみれだろうか?

あの頃のように、騒ぎ、ねっころがって、彼らと、星空を見上げながら眠りたい。

・・・・明日、帰ります。

追記)・・・などと、旅のおわりにセンチになって、女々しい事を書いて、時間を無駄にしたが、まあ、他者からの疎外感だけが、個人を個人として、位置付けるわけだし、若い時は、それを実感できなかた、だけ、ただ、それだけの事なんだろう。

今度こそ、マル。