「日本縦走中・折々のつぶやき」カテゴリーアーカイブ

チャリ旅の途上、時々のtweet

2020年9月25日

9月25日

本当は、26日は礼文で、27日のフライトで稚内から帰るつもりだったけど、、

まあ、台風の余波の、おおしけで、26日はハートランドフェリー、動かなそうだった(実際止まったね)。急遽(というかバックアップはしてあった)旅程変更。

この旅で初めてゆっくり起きて、7時に朝御飯をいただき、8時半に宿をでて、なんてのんきなペースで、午前だけ利尻島をふらつき、、

11時には利尻空港に着いてしまって、ゆっくり着替えと自転車のパッキング。

セキュリティチェックで、ガーミンのレーダーバックライトが引っ掛かって、輪行袋をほどかされた。

「わかってないなあ」とちょっと怒りかけたが、まあなまら北海道、しかも利尻島の現地採用では、電子部品の区別もつかんだろう、とあきらめて、、

「あのね、IATAの規則だとね、こういう電子機器内蔵の小容量バッテリーはね、、」と、にこやかに説諭してきた。

袋から出した荷物は再度詰める気にはならなかったので、、

「紙袋ちょうだい」
「あなたたちで詰めて、それも受託にしてくれる?」

、、とだけ、ちょいと釘を刺した。

14時のフライトで新千歳に着いたのが15時すぎ。

タクシー拾って苫小牧まで。

その途中で、沼ノ端のヤマトのセンターに寄って、いらない荷物と、タイヤ2本を発送して軽量化。

第一洋食には16時過ぎに着いてしまい、「17時の開店まで、どこかでいっぱい」と思って、繁華街をふらつくが、どこも17時オープン。

仕方なく、第一洋食店前の壊れたベンチで開店待ちしてると、店の奥さんがバッチリ化粧で、おそらく郵便局へ行くために、でてきた。

目があったので、「今日も17時開店でしょうか?」と尋ねた。

「はい、5時、ごめんなさいね」と、例の取り澄ました声で答えて、奥さんはでかけてゆく。

10分ほどで、奥さんは戻ってきて、自分に目もあわせず、「どうぞ、、」と指し招き、開店前だが店にいれてくれた。

「はい、自転車?、それはここにおいて・・」

「まってね、いま電気つけるから」

「ああ、そうね、席は、そこに、かけて」

「ゆっくりできず、申し訳ないが18時には店をでたい」と奥さんに告げながら、注文を済ませ、併せて、18時にタクシーを手配していただく。

皿が届くたびに、奥さんと無駄話をして、幸福な1時間+α。

名入りのシルバーが年季が入りすぎて、全く切れないので笑える。

19:30発のフェリーだが、コンビニ寄ったり、運転手が話(ベーリング海でのスケソウ操業船に乗り込んでた若き日の話)に夢中でゆっくり走ったので、厚真の港に着いたのは、出港45分前。

まあ、遅れたおかげで、乗船手続(➕GOTO申請)の行列もほぼ、ハケていて、ちょうどよかった。

なんだか、GOTOと閑散期のせいで、夏場だと1人占有で8万くらいのスイートが、たった2.5万円だった。3食つくグリルの食事は、昔とくらべて、見違えるほど美味しくなった。

しかしなあ、バッグに入れた輪行でも、それとは別で、自転車代取るというのは納得いかん。

2020年9月24日

9月24日

夜明け前(5時)にクッチャロ湖のウイングを出発して稚内まで。
昨日の疲れが残っていたので、いやになったら浜鬼志別からバス輪行すればいいやと、宗谷バスの時刻だけはチェックしておいた。

昨日頑張った報いがあって、今日は追い風、ちょっと斜ってるが、多分7ー8m。

浜鬼志別のセコマで朝めし食って、まあ、走るために来たんだから、たったあと80kmだし、走ることにした。

それにしても、自転車なんて全くいない。日に2ー3台すれ違うだけ。

結局、鬼志別6時半のバスより早く、8時半には稚内に着いちゃった。

開いたばかりの市場でお土産買って、うろこ亭で海鮮丼とノンアルコールビール。

10時のフェリーで利尻島へ渡る。

東風10mと、強いので、利尻島一周60km、どっち回りか悩んだ末、半時計回りにした。正解だったどうかはわからない、後半やはり風に苦しんだ。

観光地にはバスの団体もいるし、そんなバスとも数台すれ違んだけどね、宿、フェリー含めて閑散としてて、GOTO族には苦しめられなかった。

2020年9月23日

9/23 手塩 ー サロベツ原野線 ー 稚内 ー 宗谷岬 ー 鬼志別 ー 浜猿払 ー エヌサカ線 ー クッチャロ湖

距離は170kmくらいだけど、稚内からの100kmはもう10-15mの向かい風。ちょっと斜って吹くことはあってもほぼ真向かい。

知来別で、もう沿岸をゆくのがいやになって、内陸の丘陵に向かって、鬼志別へ。

鬼志別の駅舎跡で、近くのスーパーで買った寿司の弁当を食べながら、「そういえば、、」とふと、インディギルカの事を思いだし、、

鬼志別の廃校になった小中学校跡へ行ってみたが、なにもない。

「しょーがないなー、こういの苦手なんだがなあ」と思いながら、(立派なホタテ王国の)役場に入っていって、尋ねる。

「あのう、以前、さるふつ公園にあったインディギルカの記念館が老朽化して、取り壊され、その展示物だけは、どこかの廃校になった小学校に移設して展示される予定だと、数年前に教育委員会の方に教えていただいたのですが、それはこの鬼志別の校舎、、云々、、、」」

するとどうやら、それは、ここ鬼志別ではなく、平成26年に廃校になった浜猿払の小学校だそう。

民族資料館という名目で運営しているが、いまだに準備中で、常時開放されてはおらず、訪問の要請があった時にだけ、一時的に開館するだけ、という。

まあ、そんな次第なので、諦めて帰ろうとしたが、、

「ちょっと待ってて下さいね」と役場のお姉さん、どこかに電話してくれている。

「あのう、これからすぐでよければ、職員を回して開けますが」と、言う。

「ありがたいのですが、自転車でこの向かい風なので、浜猿払までは1時間かかります」

ふたたび、お姉さん電話口に戻り、、

「14時に教育委員会の職員を待機させますので、どうぞ、、」

と、そんな次第で、まだ未完成の民族資料館を訪問させていただいた。

現役と退職者の有志4名で、こつこつ構成中とのことで、常時開館までの道程は遠い、という。

ちなみに、インディギルカは、あくまでも、その資料館の一部門。

浜猿払へ出た以上、向かい風10m、空は曇だらけになったエヌサカ線を抜けて、クッチャロ湖へ。

クッチャロ湖の夕焼けなんて、もういいやと、すっかり諦め、それでも今日は頑張ったぶん、いい1日だった、と思っていたが、

日没間際、の僅か15分、雲の切れまから、湖面に陽がさし、、

奇跡のような夕焼け

2020年9月24日

稚内に着いてからは、競走馬のよう走りまくってばかり。

まずは9/22(火)、稚内から手塩までの忘備録。

もっとゆっくり出発するつもりだったが、稚内のドーミー人種に嫌気がさして、、

眠いのを我慢して、気持ち悪い宿泊客に会わないよう、さっさと夜明けに出発したら、お昼前に手塩に着いちゃった。

予約してあった、「富士見荘」あらため「夕映え」に荷物だけ預けに寄ったら、「部屋の準備できてるから入っていいですよ」と言われて、あっさり、そのままc/in。

あとは手塩の町をフラフラ・・・・

2020年9月24日

夜明けに浜頓別をでて、稚内まで走って、これから10:10のフェリーで利尻へ。

稚内は「うろこ亭」がいいよ(市場の社長がやってるとか)、、

と、数年前に教えられたことを思いだし、寄ってみたら、ちょうど9時に開店だった。

海鮮丼、うまかった。夜の居酒屋メニューも良さそうだった。